タイ伝統医学の起源
タイ伝統医学の起源は、インドやパキスタンまでさかのぼることができます。
インドからスリランカを経て、タイに伝わった南伝仏教(上座部仏教)と共に、伝統医学も伝わってきて、その後、中国の漢方医学の影響も多少受けています。つまり、タイの地でインドの伝統医学に中国の漢方医学が融合し、その上にタイの人たちの経験医学が積み重なり、タイ伝統医学の基礎が確立されたのです。その成立過程を知るには、タイ伝統医学のファーザードクター、シワカ・コマラパ師の生い立ちを知ることが大切です。
シワカ・コマラパ師の時代
シワカ・コマラパ師については、パーリ語、サンスクリット語、チベット語、漢語などの仏教文献にその伝説が残されています。それらの文献には、師は約2500年前、釈尊の時代にインドで生まれたと書かれています。
古代マガタ王国時代、ラージャグリハ(マガタ王国の首都、現在のインドのラージキル)のゴミの山に一人の子が捨てられていました。ちょうどその時、アパイラーチャクマーン王子が通りかかり、その子を見つけ、「その子はまだ生きているか」と聞き、兵士は「はい」と答え、その子は王子によって拾われ、宮殿に連れて行かれ、ビンビサーラ王の孫という立場で大切に育てられました。子供はシワカと名付けられましたが、それは「彼はまだ生きていた」という意味です。そして王子が彼の面倒をみたことからコマラパと呼ばれました。コマラパとは、「王子によって養われた」という意味です。
シワカ・コマラパ師の時代彼が自分で、生計を立てなければならない年齢に達したとき、彼は医術を習おうと決心し、タクシャシラ(現在のパキスタン、タキシラ)という町に行き医学を学びました。当時、タクシャシラは医学の習得や、技芸や科学、また伝統的バラモンの学習の中心地でした。通常16年で医師になるための知識を学ぶところ、彼は7年でその課程を修了し、その間に薬草に関しての知識や処方の仕方、鍼術、脈診術、開頭術などをマスターしました。
最後の実地試験で先生のアートレーヤ医師は、彼の薬草に関する知識を試すため、彼を森に行かせ、「森の中から薬にならない草を取ってくるよう」指示しました。森の中には、薬にならない草が一つもないことを知っていた彼は見事に試験に合格しました。試験に合格後、彼はラージャグリハに戻りました。シワカ・コマラパ師の住居跡一方、アートレーヤ医師は中国へ渡り、医学を広めたという伝説が残っています。
ビンビサーラ王は、シワカ・コマラパ師により痔瘻を軟膏で治され、また頭頂部のできものをカミソリで切開して成功シワカ・コマラパ師を「医師の王」に任命し、釈尊の主治医に決めました。
その時釈尊は「前世で私とあなたは、人々を癒すという誓いを立てた。私は心の病気を、あなたは体の病気を治すのだ」と彼に言われました。シワカ・コマラパ師の住居は、釈尊が説法をして家に帰る途中にありました。そのため二人は良くそこでお話をされていたそうです。(詳しくは、一般会員入り口からインド・パキスタン日記を参照)
カースト制度
当時インドの社会では、人々の身分は不平等な考え方によって、祭祀を司るバラモン(ブラーフマナ)、王侯・貴族・武人のクシャトリア、平民・農民のヴァイシャ、そして隷民のシュードラの4つのカースト(ヴァルナ)とそれ以下の不可触民(ダリット)に分けられていました。
カースト制度シワカ・コマラパ師はそれらのカーストにとらわれずに村々を遍歴し、薬や手術によって多くの人の病を治療しました。そこで培われた薬に関する知識や治療法は初期仏教教団の規律の中で成文化され、それが仏教医学のもとになりました。
一方支配者階級のバラモンは、病人や死人を不浄と捉え、医者や治療家もその不浄な人たちと接触するカーストと考えていました。そして、バラモン自身は治療や癒しに携わるべきでないと考えていたのです。
そのため治療や医学に関する知識は、バラモンを中心とした支配者集団にではなく、仏教教団や治療家集団、そして苦行をしていたシュラマナ集団に経験医学として蓄積されていったのです。これらの経験医学が、仏教医学やアーユルヴェーダ医学、そしてヨーガの原点にもなるのです。
仏教と医学の共生関係により、仏教はインド全体に広まっていきました。そして、大きな寺院では仏教医学をもとにした教育もはじまり、その共生関係は、タイをはじめ他のアジアの国々でも仏教が容易に受け入れられるのを助けていったのです。
アーユル・ヴェーダとは
紀元前1700~前800年は初期ヴェーダ時代と呼ばれ、病気はつきもの(憑依)や外部からの災い、そして毒物によるものが知られ、呪術や宗教にもとづく治療がなされていました。しかし紀元前200~紀元後400年になると、「生命の知識」を意味するアーユル・ヴェーダを中心とした合理的医学の時代に入ります。そして薬草の効果が科学的に証明されるようになり、呪文や護符に頼ることなく、薬草や食物によって病気を治す医学へと発展していきます。
アーユル・ヴェーダでは、自然界は空、風、火、水、地の5元素からなり、空から風が生じ、風の摩擦熱から火が生じ、火の熱によりある要素が溶けて水が生じ、さらにそこから地の要素が作られたと考えます。また、人体はドーシャ、ダートゥ、マラの3種類からなると考えています。
ドーシャには、空と風の元素のヴァータ、火と水の元素のピッタ、水と地の元素のカパの3種類があり、この3つのドーシャが人体を巡っていると考えられ、体液と訳されることもあります。これらの3要素をトリドーシャと呼び、ほとんどの人では、どれかのドーシャが優り、その不均衡がその人の体質を特徴づけるため、体質は①ヴァータ、②ピッタ、③カパ、④ヴァータ・ピッタ、⑤ピッタ・カパ、⑥ヴァータ・カパ、⑦ヴァータ・ピッタ・カパの7種類に大別されます。ヴァータ(運動エネルギー)の乱れは、腰痛・坐骨神経痛、精神疾患、循環器疾患、ピッタ(変換エネルギー)の乱れは、消化器疾患、血液疾患、皮膚疾患、カパ(結合エネルギー)の乱れは、呼吸器疾患、糖尿病、肥満をもたらします。
アーユルヴェーダ1日の時間の変化でも午前6時~10時と午後6時~10時はカパが優勢になり、午前10時~午後2時と午後10時~午前2時は、ピッタが優勢になり、午後2時~6時と午前2時~6時は、ヴァータが優勢になると考えます。
1年においても、春はカパが悪化し、夏はヴァータが蓄積し、秋はピッタが悪化し、冬はカパが蓄積し、雨期はヴァータが悪化し、ピッタが蓄積するとされます。人の一生においても、若年期はカパ、青壮年期はピッタ、老年期はヴァータが増大すると考えます。
そしてダートゥとは、身体を維持するために必要な構成要素で、乳糜(リンパ)、血液、筋肉、脂肪、骨、骨髄・神経、生殖器官の7要素からなり、マラは、汗、尿、便の3つの排泄物を指します。
アーユル・ヴェーダにおける健康とは、トリドーシャの均衡が保たれ、7つのダートゥが正常に機能し、3つのマラが順調に生成され排泄される状態のことをいいます。しかし、仏教医学では、カパ(水)、ピッタ(火)、ヴァータ(風)に加え、水・火・風の3つの要素が合併した地の要素を付け加え、4つを要素としています。これらの考え方が、タイ伝統医学の考え方のもとになるのです。
シワカ・コマラパ師の系譜
初期のヴェーダ医学は、神々への讃歌を集めた「リグ・ヴェーダ」や医術の呪文やまじないが書かれた「アタルヴァ・ヴェーダ」に受け継がれ、それらの知識に治療家や医者、苦行者の経験医学が加わり、アートレーヤ医師が生きていた時代の医学になります。アートレーヤ医師には、シワカ・コマラパ師をはじめ、アグニヴェーシャ、ベーラ、ジャトゥーカルナ、パラーシャラ、ハーリータ、クシャーラパーニという6人の高名な弟子がいて、彼らの医学に内科学を扱う「チャラカ・サンヒター」、婦人科を扱う「カーシャパ・サンヒター」、外科学を扱う「スシュルタ・サンヒター」などが加わり、アーユル・ヴェーダ医学へ発展します。
一方、アートレーヤ医師の医学は、シワカ・コマラパ師を通して仏教医学の基礎となります。そして、それらの知識にタイの地での経験医学が積み重なり、タイ伝統医学が確立されたのです。
(以上日本タイマッサージ協会出版「タイマッサージ入門」BAB出版「タイマッサージバイブル」より抜粋